はじめに
社会福祉法人山陰会創設者である本田哲郎先生は、戦時下の過酷な軍役、シベリア抑留を経験された。復員後はスエ子先生と夫婦で農業を営んでいた。慣れない仕事に苦労の連続で朝は薄明かり差す頃から、夜は月明かりをたよりに働く日々であった。その中での子育てというものはまた大変なことであり、近所の小学校3,4年生の子どもたちが幼いこどもたちの面倒を見てく れたお陰で何とか農業を続けることが出来た。
そのような経験から少しでも生活に余裕が出来たら何か地域の人に恩返しをしたと常々考えられていた先生は将来を担う子どもたちの教育に携わることは、夫人の生きがいにもなるし、地域にも役に立つことに違いないと考え、昭和40年5月1日、47歳の時に多額の私財を投じ、最愛のスエ子夫人と共に山陰保育園を開設された。以後平成16年1月17日に永眠されるまで、山陰会理事長として生涯現役で福祉の道を歩むこととなる。
昭和45年5月、知的障害者更生施設普賢学園を開設。その基本理念に「豊かな心づくりと自主独立、額に汗する人間作り」を掲げられ、特に「働くこと、努力すること」に徹底した教育を行った。その間、障害者支援に携わりな がら本田哲郎先生は「障害とは、人間の幸福とは、豊かさとは、価値とは、いのちとは何か」を時には悩みながら、常に自問自答され続けてきた。熊本のシュバイツァー寺住職に法話をお願いし、3年間通い詰められた。
また、平成3年の雲仙普賢岳噴火災害の折には、普賢学園は警戒区域となり移転を余儀なくされたが、「施設は地域と共に発展してきたのであり、いわば運命共同体であるから、地域を捨て自分たちだけ安全な場所へ移るわけにはいかない」と訴え、それが地域の人々の共感を生み、元の場所へ帰ることが出来た。
このように数々の施設経営や事業を展開する中での勇気や決断、施設利用者と共に暮らす中で感じたこと、亡きスエ子夫人への思いなど遺された言葉の中からその時々の心情が垣間見ることができる。この『創設者の詩』を通して、派手さを好まずごく普通に当たり前に過ごされてきた本田哲郎先生の在りし日の姿を偲び、懐かしく感じていただければと思う。そして、これからの福祉の実践に対する指針、人生の道しるべになるようにと切に願うものである。
『いのち』
大切にしてください 娘さんのいのち あなた様のいのち 大切にしてください。 知識があるから いのちは尊い、知識がおくれてるいるからいのちは尊くない」そんなものではないはずです。 私たちのいのちは観音様のいのちです。無限の彼方から無限の未来へと続いてゆくいのちです。 いのちは家庭から解放してください。いのちは施設からも解放されなくれはなりません。 いのちは自在です。いつの日かいのちは自分の足で歩いてゆきます。母の胸からも離れて、いのちは自在でありたいと願い、知識は人に頼ろうとします。わくから出ようとするいのち、わくに止まろうとする知識、その相克が人生です。苦しみはそこから生まれます。 私たちはいのちを信じ、静かに見守り、幸せを祈ってあげたいーそのほかに私たちに何が出来るでしょうか? 「念彼観音力 年彼観音力」それは命を念ずることです。 (東京都のお母さんが死ぬまで子供を手元におきたいと思うし、また施設にあずけたいと思うと迷いの手紙を頂きその返事の一節から)
ー 君はそれでよいのか - いつもにこやかに 問い続ける 南無観世音菩薩
涙には やわらげることのできる涙 やらわげることのできない涙がある だが 涙は 力に変わる
我が命 我がものにあらず 命はすでに時の流れの中にある すぎし日を思い患うこともなく 遠き日に夢を追うこともなく 暑い時には暑さの中にいて 寒さの時には寒さの中にいて じっとがまんするのも 又楽し
『花』
華やかな大輪の花より
山にひっそりと 咲く花がいい
なかでも
普賢様への参道に咲いていた
山あじさいの
小さく清楚な 青い花弁の
淋しく孤高な
たたずまいが好きだ
青色 青光
疲れても猶求めた
一輪の花である
「おはよう」といってくれた男(ひと)は 灰が降ってきてもはらうことを知らない男(ひと) その一言が嬉しい 花をくれた女(ひと)は もののいえない女(ひと) 白髪交じりの姿が哀しい あたたかい掌の上に 今日も 生かされて 生きる
『老女』
夏の日 じっと座って 目を視ると にーと笑って 何かを言った 私にはわからない 耳のせいだろうか 私は 老いた 皴深い顔を見ていると ふと私は思う 生きることは この人にとって幸せなのだろうかと 生きて喜ぶだろうか 生きて悲しむだろうか 私にはわからない 唯々 観音に祈る 活きる慈悲を与えてください いつまでも この老女(ひと)に いのちを与えてください
『病妻』
夏の夕 独り 食事をとっていると 扇風機をかけているのに 汗がどっとふきでる 妻よ 私ははっきり思う 「人は他(ひと)の為に生きねばならぬ」と
『お陰様の道』
王者の心とは 「気配りが豊かである」ということである 【山陰神道史より】
福祉の仕事で必要なものは 相手を思いやる感性である 思いやりは愛された自覚 愛された経験から生まれる
山陰の道 はるかな道 人変わり 世は移り 山燃えて砕くとも 己を灯に ただ歩まん