社会福祉法人山陰会
背景の蝶

お知らせ

2026年7月3日

【読売新聞7月3日掲載】『地域つなぐ避難所に 障害者支援施設にホール』

「普賢岳大火砕流35年 地域つなぐ避難所に 障害者支援施設にホール」

(令和8年7月3日読売新聞 小川紀之)

 雲仙・普賢岳の大火砕流が1991年に発生した際に小学生だった本田尚久さん(45)が、園長を務める障害者支援施設「普賢学園」(南島原市深江町戊)に災害時の避難所として活用できるホールを開設した。 35年前の避難生活では地域のつながりに支えられたといい、本田さんはホールを災害時の拠点にしようとしている。

 普賢岳は90年11月、198年ぶりに噴火し、91年6月3日午後4時8分に大火砕流発生。43人が犠牲になった。96年6月に噴火活動の「終息宣言」が出されるまで、火砕流は9432回発生した。

 ホールは昨年5月に完成した。木造平屋約100平方メートルで、シャワーやキッチン、防災倉庫を備える。学園は、知的障害がある10~60歳代の約40人が利用する。ホールでは普段、利用者の絵画や写真の展示会などを開催する。4月中旬には、プロの声楽家らが出演する音楽会が開かれた。

 学園は、災害時に高齢者や障害者を受け入れる南島原市の福祉避難所として登録され、ホールは地域向けの避難所にする予定だ。本田さんは「天井が広高く、広々としている。避難者も居心地がいいはずだ」と胸を張る。

  91年6月3日午後、小学校4年生だった本田さんは、学園を運営する父、龍一さん(74)と学園系列の保育園に身を寄せた。本田さんは約1年間、この保育園で避難生活を送った。地域の人たちも、仮設住宅などでの暮らしを余儀なくされ、多くは2年以上、地元に戻れなかったという。

 避難者たちは、長い避難生活を協力して乗り越えた。大人は運動会などに積極的に参加し、子どもたちを励ました。「地域は3世代家庭がほとんどだった。両親が仕事に出ても祖父母世代の誰かが、子どもたちを見守ってくれた。(核家族化が進む)今とは違う。」と本田さんは振り返る。

 普賢岳には当時のマグマが冷え固まった溶岩ドームが残り、南島原市内には何らかの理由でドームが崩壊した際に危険が及ぶ予測される地域もある。同市は、この20年で人口が25%も減少しており、老氏はこの20年で本田さんは「地域のつながり、支え合いの仕組みを意識的に作らないといけない。ホールをその拠点にしたい」と力を込めた。

お知らせ一覧